@西武多摩湖線と玉川上水が交差する位置に架かる『桜橋』。五日市街道とも交差。
小平学園都市構想により昭和3年、多摩湖線の国分寺〜萩山間、翌年には村山貯
水池(多摩湖)まで延長された。当初は国分寺〜小平学園間に一橋大学と桜堤駅
があったが、桜堤駅は戦後間もなく廃止に。大正14年に桜橋が架設された当初は
鉄道工事用の橋で『梯子橋』と呼ばれたが、その後、桜堤駅に因んで桜橋に。
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A桜橋から上流の商大橋にかけての南側の堤は、間伐や下枝の剪定で日当たりを
よくし『自生野草保護ゾーン』として、ボランティアにより保存管理が行われ、ニリ
ンソウやオカトラノオ、ノカンゾウなどの群生が見られ、武蔵野の自然が…。
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B桜橋から50メートルほど上流左岸の新堀用水に残る『清水水車』への廻し掘りの
堰跡。近年まで廻し堀跡も残っていましたが、その後整地され、この堰跡だけが
かつてを留めています。 |
C桜橋上流左岸の玉川上水堤にはフデリンドウが4月上〜中旬に開花。草丈は5〜10
センチで日が射さないと花を開かないので、目立ちませんが、落ち葉の下からコバ
ルトブルーの鮮やかな鐘型の花を覗かせている姿は、キュートです。閉じた蕾が筆
の穂先に似ていることから、その名が。 |
D桜橋から50メートルほど下流に架かる『八左衛門橋』の名称は、旧小川新田組頭の
滝島八左衛門が架けたことによるもので、滝島家は明治3〜5年に玉川上水に通船
された時、小平の船持5軒のうちの1軒で、物資輸送をすると同時に、この橋の北側
に茶店を開いて船頭たち休憩の場を提供。橋が架けられたのは通船開始の頃とさ
れています。現在の橋は昭和9年に架設後、二度ほど拡張され平成12年に改修。 |
E八左衛門橋から50メートル下流地点の五日市街道の奥まった所にある稲荷神社。
境内の掲示板によると、この付近は享保年代(1716〜1736)に開拓された野中新田
の飛び地で、堀端野中といわれ、組頭の六左衛門が産土神として勧請した稲荷神社。 |
F八左衛門橋から約100メートル下流に架かる歩行者専用の山家(さんや)橋。橋の北
側一帯は小川新田の組の一つ山家集落であった。現在の橋が架設されたのは昭和
50年。最初に架けられたは明治初期とされ、この橋の北側の上水堤には水の便の悪
かった山家集落の水汲み場が数ヵ所設けられていた。 |
G八左衛門橋〜山家橋の右岸堤に立っている高さ40センチくらいの小さな馬頭観音。
側面に寛政4年(1792)、野中新田 願主小林市五郎と彫られている。 |
H『上水記』にも喜兵衛橋と記されている古い橋。名称はこの橋のたもとに住んでい
堀野中新田組頭島田喜兵衛(小林姓の説も)の名前に因むが、いつの頃からか定か
ではないが、『喜平橋』に。この橋で五日市街道は玉川上水の左岸から右岸へ移行
し、小平駅前〜あかしあ通り・国分寺街道上下線など7つもの道路が複雑交差。交通
の難所に。現在の橋に拡張改修されたのは平成4年3月、歩行者専用敷きの一部は
ポケットパークになり、案内板も。 |
I喜平橋下流の雪景色。2006年1月撮影。 |