@鎌倉橋から100メートルほど下流に架かる歩行者専用の小松橋。橋の北側にあっ
た分校が昭和31年、小平市立四小として開校した当初に木橋が架けられ、その後
昭和52年に現在の橋に。当時、この付近には赤松林が広がり、津田町3丁目アパ
ート一帯の地名は松が丘と呼ばれたのが橋の名の由来。
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A鎌倉橋〜小松橋の中間あたりの南側には、武蔵野の面影を留める保存樹林が鬱
蒼と。下草にはホタルブクロやニホンタンポポ、キンラン、ギンラン他、稀少になっ
た野草が生息して。
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B小松橋から50メートルほど下流に残る小川水衛所跡。江戸時代の芥揚げ・水番所
に代わり明治27年、羽村〜四谷大木戸間に8ヵ所設けられた水衛所の一つ。上水の
監視と分水口の開閉、ゴミ不要物の除去などが水衛の主な仕事で、敷地内に住居
も。昭和38年、小平監視所の開設に伴い統合されたが、芥揚げの鉄柵は現存して
おり、鉄柵付近のイチョウは上水流域で有数のイチョウの大木。 |
C大正13年、国の名勝に指定された『小金井桜』の西の境界石が小川水衛所跡敷地
内(C−2)と玉川上水左岸(C−1)に。サクラ博士として高名な三好学・理学博士
の調査研究により、小金井橋を中心に東西6キロが名勝に指定されることになり、
その指定区域を示す石柱で、東の境界石も境橋上流の両岸にひっそりと。 |
D鎌倉橋〜小松橋間に十数年ぶりに開花したオニノヤガラ。葉のないラン科植物
で高さ1メートルを超し、直径1〜2センチのつぶ貝のような花を。 |
E小川水衛所跡のフェンス南側地点で玉川上水と五日市街道が出会って平行線に。
またこの地点は五日市街道とその旧道との分岐点で、旧道側に『上鈴木不動尊』。
敷地内に庚申塔(寛政13年)や馬頭観世音(安政4年)、石橋供養塔(寛政3年)など
が。旧道は250メートルほど西で直角に折れて五日市街道と合流。その折れ曲が
る地点は『まがりとう』と呼ばれています。 |
F石橋供養塔は側面に「寛政三辛亥十一月吉日」と刻まれ、多摩郡鈴木新田・粕谷
武平治の名前が読み取れ、玉川上水か分水に架けられた石橋造立の供養塔では
ないかとされています。 |
G小川水衛所跡から50〜60メートル下流にかかる商大橋。昭和8年、橋の北側に東
京商科大学予科(一橋大学小平校の前身)が箱根土地会社による小平学園都市
開発の誘致で、津田塾に続いてこの地に移転。昭和12年に架設された橋は平成2
に拡幅して架け替えに。 |
H平成4年、東京都により小金井桜名勝指定区域内の桜に調査票が付けられ、ナン
バー1のプレートをつけた桜の老樹が上水左岸の境界石(C−1)の近くに。 |
I商大橋から80メートルほど下流にかけて、両岸に針葉樹のイチイの高木が並木
になっていた。落葉樹の多い堤では珍しく、また付近に自生する樹木とは考えら
れないので注目されていたが近年、ほとんどが枯死して風前の灯のイチイ。 |
J昭和62年に架設された歩行者専用の橋。かつて商大橋からこの橋にかけて続い
ていたイチイ並木の名残りを留めて橋の名称に。イチイ並木辺りの南側に近代木
彫界の巨匠・平櫛田中翁の旧居・彫刻美術館がある。 |