@中央公園から東へ50メートルほど玉川上水沿いを下ると府中街道に架かる久右
衛門橋へ。『上水記』にも記されている古橋で、名称は当時の名主・久右衛門に因
んでつけられたとされています。現在の橋梁は昭和7年に架設。その後、平成3年
度に玉川上水橋梁群整備事業で大幅に改装工事を。
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A久右衛門橋左岸に高札場があったとされ、またその下流には明治3〜5年に玉川
上水に物資輸送の船が運行した際の船着場が堤の法面が窪んだ位置に。小川村
の荒井清五郎が『久保河岸』の屋号で経営していたとのこと。玉川上水の通船へ
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B『久保河岸』跡を補強する杭がその目印で、水際には8月にキツネノカミソリの群
生が見られます。 |
C久右衛門橋の北側、府中街道に面して津田塾大学が木立の中に。明治4年、初の
女子留学生の一人として渡米した津田梅子が帰国後、明治33年に麹町に創設し
た女子英学塾が前身。関東大震災で校舎を消失後、昭和6年にこの地に移転。昭
和23年に津田塾大学に。本館校舎は東京都選定歴史的建造物。キャンパス北東
部に津田梅子の墓地があり、梅子に因んだ梅林も。 |
D津田塾大キャンパスの東南部の上水堤に立ちはだかっている白い建造物は、こ
の地下を横断している武蔵野線トンネルの作業抗。玉川上水と新堀用水からの
漏水を汲み上げるポンプが設置されており、ある程度たまったら放水しています。 |
E武蔵野線トンネル内から汲み上げた水はパイプを通して新堀用水へ。時折りパ
イプから水が吹き出してくるシーンも。 |
F鎌倉橋:この付近を鎌倉街道が南北に横切っていたとされることから橋の名に。
橋より北側の道は現在も鎌倉街道と呼ばれている。 |
G鎌倉橋と久右衛門橋の中間辺りの左岸に近年、晩秋になるとフユノハナワラビ
が姿を現すように。秋に下草刈と間伐が定期的に行われるようになり、木漏れ
陽効果で出現するようになったのでは…。 |
H鎌倉橋付近の上水堤の夏景色。深山のように緑のブラインド効果が。冬の裸木
の景観もまた素晴しい! |