開山当初は神隣山成身寺宝寿院と称したそうですが、村人
たちの願いによって元文3年より開基者鈴木姓に因んで
『鈴木山 宝寿院』と改称したと伝えられて…
宝寿院の由来
鈴木街道をはさんで鈴木稲荷神社の真向かいにたたずんでいる宝寿院の境内。

武蔵野の面影を留めた境内は足を踏み入れ難い雰囲気ですが、白いホトトギスが開花している頃、そっと訪ねてみました。

約300年前、鈴木新田の開拓を率先した鈴木利左衛門春昌が、開拓の発願に苦心尽力した父利左衛門重弘菩提を弔うために開基された宝寿院。

春昌は鈴木新田の開拓許可が下りると 約7万4300平方メートルを境内地として寄進。享保11年(1726)に武州多摩郡中宿(現府中市)の妙光院の塔頭にあった寺院を引寺して、開山したと説明板に書かれています。

重弘の法名『宝寿院一宗広心居士』から宝寿院としたそうです。
 お断り:寶壽院は画数が多いため新漢字を使っております。

いわゆる観光寺ではないので、見どころは静かなたたずまい。五右衛門風呂のような
大きな鉄釜の傍に、明治3〜5年、玉川上水に物資輸送の船が運行された時に使用
された錨がありました。

明治中期に建立された旧本堂と庫裡は昭和23年に火災で焼失して、現在の本堂
客殿は檀家一同の熱意で昭和37年に再建されました。新田時代からの
結束が静かに息づいているようです。

亀乗り地蔵の昔話と今・・・
宝寿院には古くから子育て地蔵として有名な『亀乗り地蔵』があり、『すうてん和尚』と『亀乗り地蔵』などの昔話が伝わっております。

ある日、宝寿院のお坊さんさんが檀家でおつとめをして帰ってくると、本堂が騒がしい。見ると狸がお供えを食い散らかして走り回っていた。

その狸を追い詰めたところ、石の亀の置物の上で石のお地蔵さんに化けてしまった。翌朝、生まれたばかりの赤ちゃん狸が3匹、そのお地蔵さんに身体をすり寄せていた。

お腹を空かせて泣いている赤ちゃん狸をどうしたものかと、坊さんが困っていたところ、狸が化けた石のお地蔵の胸から白い乳がポタポタ…。

赤ちゃん狸は流れ出てくる乳を夢中で飲み始め、すくすくと育ったという。それからというもの、この狸が化けた地蔵は『亀乗り地蔵』と呼ばれ、子育て地蔵として人から人へと広まり、遠くからもお参りに訪れるようになったそうです。

毎月23日と24日には境内に市もたち、地蔵市と呼ばれて賑わったそうで、その亀に乗ったユニークなお地蔵さんを見てみたいと 庫裡で伺ったところ数年前に破損され、現在は公開してないとのこと。

とっても残念なことですが、修復できたら公開したいとのことでした。
所在地:小平市鈴木町1−129

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2007年11月作成