泉蔵院と東京街道の史跡
  小平市大沼町は、 江戸期徳川吉宗公の時代の新田開発によって開かれました。
武蔵国入間郡大岱村(オンタ)(現東村山市恩多町)の名主當間弥左衛門の願い(1717)によって開発された
村請新田です。開拓当初からの念願で建立された260年の歴史のある泉蔵院を訪れてみると・・・
                                  
東京街道をから 山門の正面奥には本堂が見えます。
 右端に美しい二重の棟は歴史を保存する多宝塔
 泉蔵院の歴史

元文元年(1737)に行われた初めての検地の際、 開拓当初からの念願であった寺院の建立を代官に願い出て、寺領の予定地を年貢免除地として認めてもらいました。
 また、當麻弥左衛門と當麻伝兵衛も自分の所有地を寺領に寄付し寺院建立に備えました。

 しかし、当時は新寺院の建立は容易に幕府の許可を得ることができない時代でした。そこで多摩郡今寺村(現青梅市今寺)の報恩寺の塔頭であった泉蔵院を譲り受け、新田側と報恩寺の連名で延享元年(1744)2月寺社奉行に引寺を願い出て、同年7月許可を得ることができました。

そして同年12月5日に伝兵衛らが寄付した土地に仮屋を作って引寺を済ませ、 運承法印を勧請して開祖とし當麻山泉蔵院が生まれました。
  
 本堂 昭和37〜8年に大改築
従来の本堂を解体したとき
客殿再造立宝暦九己年3月1日の棟札
(1759)






  多宝塔  昭和58年に新築
この多寶塔の建てられた場所には、 明和3年(1766)に建立の小さな石塔 「寶池院塔」 と 「お経を埋めた」と伝えられる経塚と呼ばれる小さな塚が有った。 昭和57年(1982)に 地下2mから経箱の破片と経巻の軸の破片を発掘。これらの尊い遺品を永久に保存すると共に、 祖先の遺志を顕彰し、 菩提のために多寶塔は建立された。
鐘楼
昭和56年(1981)10月完成
大晦日には檀家の人々だけでなく、 ご近所の多くの方が
「鐘つき」 を楽しみに。

開山運承法印の供養塔 
        安政9年(1780)
薬師堂
昭和42年(1967)の改修で総欅造り
小平大不動明王尊像
青銅、彩色 1984像立。
                                         所在地  大沼町1−673
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2007年8月作成
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