小平市の保存樹林1900本の中でも最大の巨木、木の高さ35m以上、目の高さの幹の周囲6.5m、枝張りの面積は
約400平方メートルの竹内家の大ケヤキ。
竹内家の祖先がこの小川上宿の地(現小川町1−583)に移り住んだ寛文年間(1661〜1671)に、春の赤っ風と秋の台風に備えて屋敷内に植えた数多くの
樹木の一本で、樹齢は330年以上。

近郷には幹回りがこの木以上のケヤキがありますが、素性よく真っ直ぐにこの高さ
まで伸びている木は見られないとして、昭和62年3月31日小平市天然記念物
第一号に指定されました。

しかし、第二次大戦中には船用材として供出してくれという話もあったそうです。
(詳しくは豆知識@へ)

おおよそ230畳敷きの大広間に相当する枝張りを支える根元の
貫禄を見て下さい!
一本で森のようだと市民に愛され
大けやき道入口(北側)から見上げると
大けやき道については豆知識Bへ
玉川上水方面(南側)から見上げると
母屋も築200年余

玉川上水が開削されて2年後、明暦2年(1656)多摩郡岸村(現在の武蔵
村山市)出身の小川九郎兵衛らの願い出によって小川分水が引かれ、
青梅街道筋の南北に新田開拓が始まったのが小平のそもそも。
その小川新田・小川村当時の歴史が刻まれている竹内家です。
母屋の座敷と土間で活躍中の薪ストーブ
屋根は葺き替えられているものの、間取りや柱、梁などは建築当初のまま
現役の竹内家の母屋。15代目の現当主・繁義さんによると、築200年以上
になるそうです。

玄関を入った土間の奥の水屋はダイニングキッチンに改装してありますが
座敷はほぼ当時のままで、太い梁や柱、代々の仏壇が黒光りしています。

夏は土間に入るとひんやりしてホッとしますが、冬は室内でも零下2度ぐら
いになり、代々ここで土地を耕してきた祖先の苦労が偲ばれます。

10年ぐらい前までは、屋敷林や畑地の一角にあるヤマと呼ばれた雑木林
の間伐材や剪定した枝を薪にして風呂を沸かしていました。大ケヤキの落
ち葉は堆肥にしています。


十二小通学路から見た大ケヤキ。

玉上水まで続く川竹内家の短冊畑
も区画整理事業が始まって…。
子供たちの登下校を見守って
いるかのよう。

竹内家の屋敷と農地の間に流れている小川分水 短冊型農地については豆知識Aへ

畑の片隅でコスモスが





アクセス・西武バス停留所 小川三叉路より1分


稲作のできなかった小平周辺の
伝統作物であった陸稲も稲穂を



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