小平霊園には戦前から長く小平市内にお住まいで、歌謡教室『詩っ子会』を主宰し地元にも教え子
やファンの多かった歌手の松島詩子さんはじめ、童謡や童話、小説、映画などで私たちの心を和ま
せ育ててくれた方々が眠っておられます。
そうした馴染み深い著名人の足跡を偲びつつ墓所を訪ねてみました。
(敬称略 参考文献:青空文庫 フリー百科事典ウィキペディア他)
歌手 松島詩子(1905〜1996)

山口の柳井出身で、地元女学校の音楽教師から歌手に転身。『月の砂漠』などの作曲家として知られる佐々木すぐるに師事し、昭和7年(1932) レコードデビュー。柳井はるみ他数々の芸名で歌手活動を続け、松島詩子の芸名は山田耕筰が命名。 昭和12年に自らのピアノの弾き語りによる『マロニエの木陰』が大ヒットした。13年に歌劇団パヴォーを創設し、『蝶々夫人』 『ボッカチオ』のなど公演。昭和16年春小平へ転居。21年に自宅で強盗に遭遇したが「あなたのことを心配している母親を嘆かせないで」と説教をして改心させた武勇伝の持ち主。 30年には『喫茶店の片隅で』がヒット。53年勲四等瑞宝章受章。歌のレッスンを欠かさず晩年まで『マロニエの木陰』の弾き語りの腕は確かだった。故郷の柳井市に松島詩子記念館があり、音楽コンクールも行われている。共に眠る夫内海一郎は浅草オペラで田谷力三とともに活躍。『銀座行進曲』『道頓堀行進曲』は大ヒットを。本名内海シマ。

2−3−19
作家 宮本百合子(1905〜1996)

東京の裕福な家庭に生まれ、日本女子大学英文科中退。大正5年(1916)、坪内逍遙の紹介で中条百合子(本名ユリ)の名前で『貧しき人々の群』を『中央公論』に発表。大正7年父精一郎と渡米。翌年コロンビア大学聴講生となるが、ニューヨークで古代東洋語の研究者荒木茂と知りあい結婚して12月帰国。1924年離婚。以後ロシア文学者湯浅芳子と同居生活に入る。この間『伸子』執筆に専念。1927年12月湯浅とともにソ連に外遊。滞在中に西欧旅行など経たのち昭和5年11月帰国。翌月日本プロレタリア作家同盟に加入。昭和7年2月宮本顕治と結婚。翌年12月スパイ容疑により顕治検挙。昭和9年中条から宮本へ改姓。敗戦までの厳しい期間のなか百合子も投獄・執筆禁止などを繰り返しながら作家活動に励む。昭和20年10月顕治釈放。夫と交わした書簡はのちに『十二年の手紙』として刊行。戦後も社会運動・執筆活動へ精力的に取り組み多くの作品を残した。
2−11−6
俳優 佐分利 信(1909〜1982)

北海道歌志内市出身、昭和6年(1931)俳優デビュー。松竹時代は上原謙、佐野周二とともに“松竹三羽烏”と呼ばれ、渋い二枚目として活躍。映画の代表作 『戸田家の兄妹』(1941) 『嫉妬』(1949) 『自由学校』(1951) 『お茶漬の味』(1952)『彼岸花』(1958)『華麗なる一族』(1974)『砂の器』(1974)獄門島(1977年)。テレビ『私は貝になりたい』(1958・TBS)『白い巨塔』(1978・フジテレビ)土曜ドラマ向田邦子シリーズ『阿修羅のごとく』(1979NHK総合) 。俳優としてだけでなく、映画監督としても高く評価された。監督作品『女性対男性 』『慟哭』『叛乱』など。本名石崎由雄。

2−17−15
作家 伊藤 整(1905〜1969)

4−9−36

北海道松前郡に生まれ、旧制小樽中学(現小樽潮陵高等学校)を経て小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業後、教師を経て上京。20世紀日本文学の重要な文芸評論家の一人。昭和初期にジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。『ユリシーズ』を翻訳する。初期は詩人だったが、私小説的文学の理論化をめざすとともに小説『鳴海仙吉』『氾濫』など執筆。評論では『日本文壇史』などを書き、昭和25年(1950)翻訳したD・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻文書に当るとして警視庁の摘発を受け、出版社のみならず翻訳者の伊藤整も起訴された。裁判では芸術性の高い文学作品を猥褻文書とすることの是非、翻訳者を罪に問うことの是非が争われたが、昭和32年最高裁は出版社、翻訳者共に有罪とした。尚、件の翻訳は昭和37年(1964)戦後には珍しい伏字を使って出版され、1996年には子息の伊藤礼が同じ新潮社から削除部分を補った完訳版を出版したが、2006年に至るまでこの本は猥褻文書として摘発されてはいない。本名は整(ひとし)。日本芸術院会員、日本芸術院賞。


作家 壺井 栄(1899〜1967)

10−1−4
香川県小豆島出身、26歳で詩人壺井繁治と結婚。、昭和13年(1938)処女作である『大根の葉』を発表後数多くの作品を執筆。芸術選奨文部大臣賞を始め、新潮文芸賞、児童文学賞などを受賞。昭和27年(1952)に発表された代表作『二十四の瞳』は瀬戸内海べりの一寒村へ若い女先生が赴任してきた書きだしで始まり、戦前から戦後にかけての"おなご"先生と12人の教え子の心のふれあいを描き、貧しい暮しや戦争の悲惨さが描かれている。2年後に木下恵介監督・高峰秀子主演で映画化され、小豆島の名を全国に知らしめた。その不朽の名作を記憶に留めている人も多いだろう。瀬戸内海を見渡す海岸沿い約1万平方mの敷地に『二十四の瞳映画村』が誕生している。同映画のロケ用オープンセットを改築したもので、大正・昭和初期の小さな村が再現され、本物そっくりの分教場や男先生の家、漁師の家、茶屋、土産物屋なども。敷地内の壺井栄文学館には代表作「二十四の瞳」の生原稿をはじめ、愛用品、初版本などの他、夫壺井繁治(1897-1975)の書簡などが展示されている。小平霊園には夫妻で眠っている。

児童文学作家 小川未明(1882〜1961)

23−29−6
筆名の「未明」は、正しくは「びめい」とよむ。「日本のアンデルセン」「日本児童文学の父」と呼ばれる。新潟県高田(現上越市)に生まれる。旧制高田中学(現新潟県立高田高等学校)、東京専門学校(早稲田大学の前身)予備校、専門部哲学科を経て大学部英文科を卒業、坪内逍遙や島村抱月から指導を受け、また出講していたラフカディオ・ハーンの講義に感銘を受け、ロシア文学に親しみ、またロシアのナロードニキの思想に関心を寄せた。在学中の明治37年(1904 )処女作『漂浪児』を雑誌に発表し注目される。この時、坪内逍遙から「未明」の号を与えられる。卒業後、早稲田文学社に編集者として勤務しながら多くの作品を発表する。卒業直前に発表した『霰に霙』で小説家として一定の地位を築く。 大正15年(1926)年、東京日日新聞に「今後を童話作家に」と題する所感を発表し童話専従を宣言する。童話の代表作としては、『金の輪』『赤い蝋燭と人魚』『月夜と眼鏡』『野薔薇』など。寓話性、教訓性よりも、ロマンや詩情、ヒューマニズムなどを表現した作品が多く、子供だけでなく大人の鑑賞にも堪えうる内容をもっている。その多作ぶりから「日本のアンデルセン」とも評される。本名は小川健作。

作家 有吉佐和子(1931〜1984)

25−12−15
和歌山県和歌山市出身。長州藩士・有吉熊次郎は曽祖父にあたる。東京府立第四高女(都立竹台高校)から疎開先の和歌山高女へ。その後、光塩高女、府立第五高女(都立富士高校)を経て東京女子大学短期大学部英語学科卒業。昭和27年(1952)『地唄』が芥川賞候補となり注目される。『複合汚染』は日本の公害について書き上げた代表作。他に『華岡青洲の妻』『恍惚の人』『出雲の阿国』など話題作、問題作を次々に発表して才女の名を欲しいままに。1964年 『香華』で第10回小説新潮賞 1967年 『華岡青洲の妻』で第6回女流文学賞、『出雲の阿国』で第20回芸術選奨文部大臣賞、昭和53年(1978) 『和宮様御留』で第20回毎日芸術賞。演劇やテレビなどの脚本も手がけた。1962年に「赤い呼び屋」とも言われた興行師の神彰と結婚。長女に作家の有吉玉青をもうけたが1964年に神の事業の失敗により離婚した。お喋りが好きであったことは有名で、1984年6月22日放送「笑っていいとも!」(フジテレビ系)のテレフォンショッキングにに出演した際に、コーナーの時間枠を超えて42分間トークした記録を残している。1984年8月30日急性心不全のため都内の自宅で死去。享年53。

詩人 野口雨情(1882〜1945)

32−1−18
茨城県多賀郡磯原村(現・北茨城市)出身。廻船問屋を営む名家の長男として生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し坪内逍遥に学ぶが1年余りで中退、詩作を始める。明治38年(1905)処女民謡詩集『枯草』を自費出版。明治40年(1907)三木露風、相馬御風らと共に早稲田詩社を結成するが、その後暫く詩作から遠ざかる。大正8年(1919) 詩集『都会と田園』により詩壇に復帰、斎藤佐次郎により創刊された『金の船』に童謡を次々と発表。中山晋平や本居長世と組んで多くの名作を残し、北原白秋、西条八十とともに童謡界の三大詩人と謳われた。創作民謡にも力を注ぎ、昭和10年(1935)には日本民謡協会を再興し理事長に就任。日本各地を旅行し、その地の民謡を創作した。また同年1月、仏教音楽協会も設立され評議員に推薦される。仏教音楽の研究に加え、新仏教音楽の創作や発表、普及にも力を尽くした。代表作『七つの子』『赤い靴』『青い目の人形』『しゃぼん玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』『波浮の港』『船頭小唄』など今日も歌い継がれている。。北茨城市磯原町磯原に野口雨情記念館があり、生家も現存している。本名野口英吉。
この他にも以下の方々の墓地もあります
斉田愛子(声楽家) 2−10−7 渡部好太郎(飛行機研究家) 3−7−21
富沢赤黄男(俳人:本名・正三) 4−5−26 津村謙(歌手:松原正) 7−14−21
千葉信男(喜劇俳優) 8−1−7 市岡忠男(野球選手) 9−18−17
多田恵一(白瀬南極探検隊員) 11−7−23 大山郁夫(政治家) 13−1−1
梁田貞(作曲家) 13−23−6 青野李吉(文芸評論家) 13−25−9
浜本浩(作家) 13−37−1 角川源義(出版社経営・俳人) 16−1−3
荒正人(文芸評論家) 16−2−7 佐々木味津三(作家:本名・光三) 16−17−22
添田亜蝉坊(演歌師) 16−17−23 蝋山政道(政治学者) 16−20−21
佐野学(政治評論家) 17−9−30 河合酔茗(詩人:本名・河井又平) 18−9−14
田畑修一郎(作家:本名・修造) 19−8−41 村上一郎(作家) 21−19−39
久保栄(劇作家) 22−19−6 織井茂子(歌手:本名・伊東茂子) 23−20−9
徳田秋声(作家:本名・末松) 23−27−29 児島善三郎(洋画家) 26−1−4
柳宗悦(作家 民族研究家) 27−13−2 下總皖一(作曲家:本名・覚三) 27−2−18
高橋掬太郎(詩人) 29−8−14 西ノ海嘉治郎(元横綱:松山伊勢助) 32−12−27
有澤廣巳(経済学者) 32−13−22 高碕達之助(政治家) 39−1−8
大村清一(政治家) 39−1−15 高塚竹堂(書道家:本名・錠二) 39−19−15
富安風生(俳人:本名・謙次) 41−1−9 十返肇(評論家) 41−2−1
鹿内信隆(実業家) 41−4−20 山本七平(評論家) 1−8−21
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