小平グリーンロードの小平駅〜花小金井駅間 約2.4キロに小平市に
ゆかりの深い近代彫刻の旗手・齋藤素巌の作品ブロンズ15基(16作品)が
設置され、ブロンズエリアの愛称も公募から『齋藤素巌・彫刻の小径』と
名づけられました。

齋藤素巌は彫刻と建築の融合を試みた先駆者の一人で
日本近代彫刻史における重要な彫刻家です。

昭和49年に他界するまで31年間、小平市学園東町・学園坂下商店街の一角に
素巌さんのアトリエ兼住居がありました。

素巌さんの名前は知らなくても、板塀に囲まれたそのお屋敷
を記憶されている方は多いのではないでしょうか。


あじさい公園エリア
通勤・通学・買い物やウォーキングの途中でも気軽にアートに
出会える野外ミュージアムを楽しんでみませんか。小平駅南口ロータリー
から東へ。グリーンロード(狭山・境緑道)入口付近に『競技へ招待』が

彫刻の小径への誘いを。あじさい公園では同じ彫刻でも見る
角度や季節、光線の具合によっても様々な色調や表情が…。

野外彫刻といえば富と権力を象徴するような巨大な像を
イメージしてしまいますが、彫刻の小径に設置されているのは

抱きしめられるようなサイズです。
作品紹介
@ 『競技への招待』 W109×D27×H72 1962制作
A 『交通』 W30×D25×H63 1930年制作
B 『少女立像』 W15×D14×H50 1956年制作
C 『農業』 W30×D25×H63 1930年制作

齋藤素巌プロフィールと彫刻小径誕生へのプロセス

誠実な作風ながら、喜怒哀楽をにじませた人物像、ユーモラスで風刺的な作品も
数多く遺している素巌さんの没後、遺族から240点以上の石膏原型が小平市に
寄贈され、50点あまりがブロンズに鋳造されているそうです。

これまでに市庁舎内外やルネこだいら、中央図書館などに設置されておりますが、
2005年秋に市民から台座の寄贈者を募集するという画期的なエコミュージアム
構想により、齋藤素巌ブロンズエリアが誕生!

それぞれの台座プレートには寄贈者の氏名と思いを託した言葉が刻まれ
より親近感がわいてきます。市民が台座を寄贈して設置している
例は少なく、他の自治体から注目されているそうです。

16作品15基の設置が終えたのを機に、その愛称を公募。北海道から沖縄まで
121件の応募から小平市在住の浅野清さんの『齋藤素巌・彫刻の小径』に
決まりました。

この機会に齋藤素巌さんの作品により親しむために略年譜を。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



明治22年(1889) 東京市牛込区に誕生。本名:知雄(ともお)
明治40年(1907) 府立第4中学卒、東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科予備科入学、9月本科へ
明治45年(1912) 東京美術学校西洋画科卒業
大正 2年(1913) 一年ほど島根杵築中学教員を務めた後、彫塑を学ぶためイギリスへ
大正 5年(1916) 帰国。本郷菊坂町に落ち着き、後に田畑文士村へ移転
大正 6年(1917) 第11回文展にレリーフ『秋』出品、初入選
大正 7年(1918) 第12回文展に『敗残』出品、特選となる
大正15年(1926) 日名子(ひなご)実三と共に彫刻と建築の総合を目指して『構造社』結成。
昭和 5年(1930) 兜町株式取引所ビルに『商業・農業・工業・交通』を各2体、計8体を設置されたが、ビル解体で取り壊しに。
昭和18年(1943) 現在の小平市学園東町に転居
昭和29年(1954) 日展常務理事就任
昭和47年(1972) 日本彫塑会名誉副会長に就任
昭和49年(1974) 2月2日84歳で他界、
齋藤素巌・彫刻の小径簡略マップ
次の藤棚パーゴラエリア
Copyright (c) 2005- 小平シニアネットクラブ KSNC All rights reserved made by Wachi&Gome 2006年10月作成