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通勤・通学・買い物やウォーキングの途中でも気軽にアートに
出会える野外ミュージアムを楽しんでみませんか。小平駅南口ロータリー
から東へ。グリーンロード(狭山・境緑道)入口付近に『競技へ招待』が
彫刻の小径への誘いを。あじさい公園では同じ彫刻でも見る
角度や季節、光線の具合によっても様々な色調や表情が…。
野外彫刻といえば富と権力を象徴するような巨大な像を
イメージしてしまいますが、彫刻の小径に設置されているのは
抱きしめられるようなサイズです。
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@ | 『競技への招待』 | W109×D27×H72 | 1962制作 | A | 『交通』 | W30×D25×H63 | 1930年制作 | B | 『少女立像』 | W15×D14×H50 | 1956年制作 | C | 『農業』 | W30×D25×H63 | 1930年制作 | |
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誠実な作風ながら、喜怒哀楽をにじませた人物像、ユーモラスで風刺的な作品も
数多く遺している素巌さんの没後、遺族から240点以上の石膏原型が小平市に
寄贈され、50点あまりがブロンズに鋳造されているそうです。
これまでに市庁舎内外やルネこだいら、中央図書館などに設置されておりますが、
2005年秋に市民から台座の寄贈者を募集するという画期的なエコミュージアム
構想により、齋藤素巌ブロンズエリアが誕生!
それぞれの台座プレートには寄贈者の氏名と思いを託した言葉が刻まれ
より親近感がわいてきます。市民が台座を寄贈して設置している
例は少なく、他の自治体から注目されているそうです。
16作品15基の設置が終えたのを機に、その愛称を公募。北海道から沖縄まで
121件の応募から小平市在住の浅野清さんの『齋藤素巌・彫刻の小径』に
決まりました。
この機会に齋藤素巌さんの作品により親しむために略年譜を。
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明治22年(1889) |
東京市牛込区に誕生。本名:知雄(ともお) |
明治40年(1907) |
府立第4中学卒、東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科予備科入学、9月本科へ |
明治45年(1912) |
東京美術学校西洋画科卒業 |
大正 2年(1913) |
一年ほど島根杵築中学教員を務めた後、彫塑を学ぶためイギリスへ |
大正 5年(1916) |
帰国。本郷菊坂町に落ち着き、後に田畑文士村へ移転 |
大正 6年(1917) |
第11回文展にレリーフ『秋』出品、初入選 |
大正 7年(1918) |
第12回文展に『敗残』出品、特選となる |
大正15年(1926) |
日名子(ひなご)実三と共に彫刻と建築の総合を目指して『構造社』結成。 |
昭和 5年(1930) |
兜町株式取引所ビルに『商業・農業・工業・交通』を各2体、計8体を設置されたが、ビル解体で取り壊しに。 |
昭和18年(1943) |
現在の小平市学園東町に転居 |
昭和29年(1954) |
日展常務理事就任 |
昭和47年(1972) |
日本彫塑会名誉副会長に就任 |
昭和49年(1974) |
2月2日84歳で他界、 |
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