玉川上水グリーンロードに面して・・・・ 方形の大きな屋根の和風建築は国立能楽を設計した建築家大江宏氏の設計により 昭和44年田中翁98歳の時であり ”98叟院(そういん)”と呼ばれています。 玄関の横には田中翁が100歳の時30年後の彫刻用として九州から取り寄せた 樹齢500年のクスノキの丸太が鎮座してしています。 地唄舞の竹原はんの像、特に代表作”鏡獅子”に匹敵する女人の舞姿への意欲が伝えられています。 私邸建築当時 このようなクスノキの原木がごろごろ転がっていたそうです。が建築用材は少々粗末でした。 大工さんが彫刻用原木を建築材として使いたいと望んでも田中翁は決して首を縦に振らなかったそうです。 そのためか大屋根を支える柱が耐え切れず 床がきしんだり、保存にはご苦労が多いと伺いました。 私邸部分は記念館として昭和59年から公開されています。 手入れの行き届いた庭園には老木の紅白の梅やボケの花がほころび始めていました。 ぼたん・かいどう・しゃら・あじさい・つわぶぎ・しろもくれん・・・ 四季を通じて色とりどりの花が咲き、春と秋にはお茶会も開かれています。 |
和室の客間に”内裏びな”がシーズン展示中でした。 ガラスのケースに保存された可憐なお顔のお内裏びなは木彫彩色されたもの。 彫刻家が作ったお雛様であることも珍しいそうです。 嫁ぐ次女のために製作したと言われています。2児を失っていただけに (2児とも転地療養の甲斐もなく数え年19歳の時亡くなられました。) 田中の喜びはひときわ大きかったものと想像され、女雛には次女の面影が重なってみえる。 位置関係は中国の陰陽道の影響。と説明書がありました 客間の隣が居間、その北側に寝室。田中翁の生活していた当時のまま公開されています。 |
田中翁の仕事場は窓からさんさんと日が射していました。 目の前の玉川上水の大自然に包まれています。 愛用の品々や記念の写真・・・・ |
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